無償の愛を追い求めた日々
信じられないかも知れませんが、私も無償の愛を与えられる人になりたいと
努力していました(笑)イエス・キリストやマザーテレサのように・・・
でも、努力すればするほど自分の「愛の足りなさ」を実感して打ちひしがれるんですよね。
そうすると、自己嫌悪に陥るわけです。自分は駄目な人間なんだ!価値がない人間なんだ!
な~んて。やっぱり罪人だから、愛を与えることができないと信じてしまうわけです。
自己嫌悪→楽しくない→人間関係がうまく行かない→孤独→暗い→もっと自己嫌悪→・・・・・
無限ループですね(笑)どんどん暗くなります。
自分への愛が無償の愛?
明るくて、自然で、何も考えていないような人がうらやましかったんです。
あんな風に明るくなりたい!何も考えずに楽しく生きたい!と思っていましたが、
心の闇を抱えたまま明るくなる事は出来ないわけです。
だからバシャールの言葉やアシュタールのメッセージはかなり衝撃で目から鱗が落ちました。
ちょっとバシャールの言葉を引用させて頂きます、
この世界では、小さい頃から何々しなればならない、「ねばならない」ということをたくさん与えられてきました。
自然に自分に流れ込んできたアイディアに耳を傾けないで、社会の要請にちょうど合うようなものを探します。社会の期待に添うものを見つけても、それは必ずしも自然なあなたと一致するとは限りません。
なぜなら根本的に、あなた以外の人から与えられた答えだからです。合うはずがありません。
しかし、だからといって人からのアドバイスを無視していいということではありません。他の人からもらったアドバイスを、自分で、自分のために選ぶことができるということです。
byバシャール
無償の愛=愛は与えなければならないだったんですね。
自分を無視して「ねばならない」ばかりを追求していたわけです。
本当の自分を無視していたら、自分は自分じゃなくなってしまうわけですよね。
それに気づかせて頂いて本当に助かりました。
自然に自分を愛することが人を愛する事に繋がり、感謝の思いに繋がる。
これが宇宙の愛が循環していくことなんですね。感謝。
それでは今日のさくやさんメッセージをどうぞ
さくやさんのメッセージは
ミナミのライト らいと ライフ~light, right, life~
より引用させて頂いております。ありがとうございます。
昨日のメッセージにいただいた
>こんな物々交換の社会から、提供しあう循環社会へ
それは無償の愛ということでしょうか。無償の愛って、難しいですね。
っていうコメントに関してさくやさんがお話ししたいと・・
なのでお伝えしますねぇ~~^0^
では、さくやさんからのメッセージです^^
「う~~ん、そんなに大層なことじゃないのよね。
もっと軽い感じ?(笑)
縄文の子たちは、この循環型の社会にいたのね。
彼らはもともと所有するという概念を持っていなかったから、
あるものはすべて自分の物であり、みんなの物だったの。
だから、何かをしてあげる、してもらうという考えも持ってなかった。
反対に、してあげる、してもらうことが当たり前だったから、
それに対してお礼をする・・
という考えもなかったの。
もちろん すべての存在に対しての
感謝の気持ちはあったわよ。
でも 特別に何かお礼をしなければ・・
なんてまったく考えてなかった。
すべては当たり前だったのよ・・
だから無償の愛でどうのこうのなんてまったくない。
軽~~く、自分の得意なこと、
好きなことをしてただけ(笑)
栗がたくさんあったよ~~、拾って来たよ~~・・
あ、いいね。それ使って私なんか美味しいものつくるよ、
あ、塩どこかにない?
そういえば、海の近くで何人かが塩作ってたよ・・
んじゃ、それ使お・・塩出来たぁ~~・・
ちょっと持ってくね・・
あ、丘のとこでお菓子作ってるから後でおいでよ。
って、感じ(笑)
あ、それ昨日私が着てた服・・着やすいでしょ?
うん、洗濯して乾いてた・・
あの子がつくった服着やすいね。
昨日の洗濯は、山の中腹の子がやってたよ。
一昨日は、海の子たちがしてた。
みたいな会話(笑)
自分が今日何がしたいか・・それだけ。
ただ自分が必要だからやる・・それだけ。
で、自分のことのついでに
他の人のもやっちゃう・・って感じかな。
服をつくるのが好きだから服をつくってたら
たくさん出来たから、どこかに置いとくと
それを欲しい人が持っていく。
食料もどこにでもあるから、
食べたいと思う人が多めにとる。
子どもが好きな人は、子どもと一緒に遊ぶ。
そこには、人のために・・なんて発想はないのね。
自分がやりたいからやるだけ・・で、
好きなことをしてるからどんどん出来ちゃう。
たくさんつくりたいから、みんなに配る・・
それで社会は廻っていくの。
誰かのお役に立ちたいなんて発想は全くないの。
すべて自分の楽しみのため。
たったそれだけのことで、
みんなが楽しくて豊かな社会が出来るの。
老後の心配も何もいらない・・
孤独なこともまったくない。
だって、年を重ねた人の話は
とても面白いからみんなが聞きに来るのよね。
年を重ねてもストレスなんかないからとても元気だし。
そして、みんながとても豊かだからケンカすることもない。
自分の中が満たされているから、
人のことが気にならないの。
人のことが気にならないって言うのは、
無関心っていう意味じゃなくて
干渉しなくなるってこと。
みんなそれぞれの考え方があって
当たり前だと思っているから、自分の意見を
押し付けることもない・・
だから、大人数で一緒に暮らしていても何もストレスはない。
そうそう無償の愛の話しよね・・
ということで、無償の愛って考えるところから
違うってこと。
そんな深刻に考えてても、無償の愛は感じられないわよ。
無償の愛って言葉自体が、もう無償の愛じゃないけど・・
でも強いて無償の愛が何かといえば、
そんなことも考えないくらい軽い気持ちかな。
好き勝手に生きて、楽しいことばかりしてたら、
勝手に無償の愛を放出してるわ(笑)
アシュタールも言ってたでしょ・・
あなた達は、野放しにしてたら愛を実践しはじめるのです・・って。
だから、毎日好きなこと、自分がしたいことをしてればいいの。
みんながそうやって生きていれば、
気がついたら無償の愛で満たされた社会になってるわ。
ほんと あなた達を心から愛してるわ~~」