目から鱗が落ちる
「目からウロコが落ちる」という表現をよく使いますが、何かがきっかけになって、急に物事がよく見えるようになったり、理解できるようになることを、をいいますよね。
アシュタールのメッセージを読んでいると「目からウロコが落ちる」ことが結構あります。
この「目からウロコが落ちる」という言葉は、どのようにできたのかといえば「聖書」の
中からなんですね。新約聖書の『使徒言行録』第9章に、パウロ(当時はサウロと名乗っていた)という
人物が出てきます。彼は、最初キリストを迫害する立場で、信者を捕まえて死刑にしたりしていたそうです。
そして彼は、信者たちを追ってダマスコという地に向かっていたのですが、その途中
「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」というイエスの言葉を聞き、その後目が見えなくなったそうです。
その後アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになったとあります。
なぜ私は目に鱗をつけてしまったのでしょう?
当たり前という言葉があります。当然、普通、常識など似たような言葉もありますが、大多数の人が
信じていることが当たり前になるわけです。でもそれが真実とは限らないわけです。
天動説と地動説が良い例であるように、知らなかったからそう信じているということも多くあるわけです。
まあ地動説が本当かどうかさえも確かめようがないんですが(笑)そう教わったから信じているだけです。
ジムキャリーの映画【トゥルーマン・ショー】などがいい例です。
典型的なアメリカ市民・トゥルーマン。だが彼の暮らす環境は、どことなく不自然だ。それもそのはず、実は彼の人生は、隠しカメラによってTV番組「トゥルーマン・ショー」として世界中に放送されていたのだ!家族や友人を含めたこれまでの人生が全てフィクションだったと知った彼は、現実の世界への脱出を決意する…。メディアによって作られた人生の悲喜劇に、見事なリアリティを与えているジム・キャリーの熱演が光る傑作コメディ。
そう考えると、自分がトゥルーマンの可能性もゼロじゃないんですね~。
知らないだけかも知れません。映画の中でのトゥルーマンは、自分の生活がフィクションであることに気づいていくわけですが、どうして気づいてしまったのか?
それは小さな?の積み重ねなんですね。何かがおかしいがどんどん大きくなっていって今までの生活が続けられなくなってしまいます。
そして最終的には自分以外の人は全部演技をしていて自分の人生は造られたものだということを知ってしまうわけです。衝撃的ですよね。
自分で考えないようにさせるシステム
今日のアシュタールのメッセージは歴史の常識について語られています。
確かに学校教育は自分で考えないようにさせるシステムかも知れませんね。
教えられることを自分で確かめることなく、これが正解といわれてしまうわけですから。
マインドではなくハートの声とともに新しい発見をしていきたいですね。
それでは今日のアシュタールメッセージをどうぞ
アシュタールのメッセージは
ミナミのライト らいと ライフ~light, right, life~
より引用させて頂いております。ありがとうございます。
「すごいですね。驚きました。ある意味、感動すら覚えました。」
・・と、アシュタールに言わしめた出来事がありました。
縄文時代はみなさんは原始時代だと思っていますよね?
って、アシュタールが聞いたんですね.
そしたらみんなが、はい、漁猟採集で毎日食べることだけを考えていた生活、
貝塚をつくるくらいの文明とは呼べないほどの原始的な時代だと
教えられました・・って
縄文土器のことはご存じですね?
教科書で見たことはあります。
きれいな土器だと思いませんか?
はい、すごくきれいな土器だと思います。技術がないとあれは作れないと思います。
狩猟採集で貝塚しか作れなかった人たちが、あの縄文土器をつくっていたんです。
文明とは呼べないほどの生活をしていた人たちが、あの縄文土器をつくっていたことに
何か疑問を感じませんか?
・・・・あ~~~、そんなことまったく気がつきませんでしたぁ~~。
そうですよねぇ~~、縄文人は縄文土器をつくっていたんですよねぇ~~、
そこに関連性をまったく持っていませんでした(驚)
そして ここでアシュタールの最初の言葉が登場したわけです。
では、ここからアシュタールのメッセージをお伝えします
「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。
いかに考えないように教育されてしまっているか・・ということです。
先生のいうことは絶対だと、何を言われてもそれが正解なのだと、
教え込まれてしまっているので、何も考える必要がなくなってしまったのです。
先生のいうこと(権力者、大人、両親)を信じていれば
安全だと思い込まされているので
自分で考える、自分で判断するということをしなくなってしまうのです。
縄文人は原始的な文化を持たない生活をしていました・・って
教えられれば素直にそうだと
思い込みます。
そして、縄文土器はこれです・・と見せられれば、あ~そうか、
これが縄文土器なのですね。
と納得します。
そして、知識としてここで止まってしまうのです。
バラバラの知識だけで、
あとはそれを結び付けようとする行為をしなくなるのです。
テストでは必要がないからです。
縄文人の生活は、原始的でした。 ○
(縄文土器と弥生土器を写真を見せられ)こちらが縄文土器です。 ○
これでいいとされてきたので、これ以上考える必要がなかったのです。
ここで上記の疑問を感じることもしなくなってしまったのです。
考えることを放棄してしまう教育をされてきたということです。
ちょっと考えれば、何も文明を持たない、
煮炊きもしない焚火くらいの火力しか使えない人たちが
どうしてあの精巧で丈夫な縄文土器をつくれたのか・・
不思議に思うはずです。
でも、先生たちはそこに疑問を持たせないように、
テストなどで点数をつけるのです。
先生たちもそのように教育されてきていますので、
教えている先生たちもそこに疑問を持っていません。
人はよほどのことがなければ、教えられたようにしか
教えることが出来ないのです。
あなたが受けて来た学校システムの教育制度は、
自分で考えないようにさせるものです。
権力者がいうことに疑問を持たないようにさせる
教育システムなのです。
そのことをわかってください。
そして、考えることを放棄しないでください。
そのためには、疑問を持ってください。
権力者たちがいうことに疑問を持ってください。
何か、ん?・・って引っかかることがあればその感覚を
大切にしてください。
権力者たちは、彼らの都合のいいように
あなたの思考を操作しミスリードしています。
それを無邪気に受け入れるのではなく、
自分で考え、自分で判断すると意図してください。
意図すれば、ん? という感覚が増えてきます。
それが、あなたをその檻の中から出してくれるカギになるのです。
マインドは、今までいた檻の中の考え方しか
出来ませんので疑問も持たないのです。
ん?は、マインドの外からのメッセージです。
そのメッセージは感覚でくるということをお伝えします。
ですので、感覚を研ぎ澄ましてください。
感覚に重きを置いてください。
感覚の情報を受け取ることが出来れば、
たくさんのことがおかしいと思えるようになります。
考える、判断する・・と言うのは、あなたの持っている大きな権利です。
それを放棄し、他の人に手渡さないでください。
あなたに愛と感謝 そして平和の光を送ります」