死ぬということ
死=悲しい 一般的にはこのように考えられていますよね。
なぜ死が悲しいのか?それは、永遠の別れと思っているからでしょう。
死んだら終わり、人生の終着点 と考えると死は悲しい事です。
目に見える死とは、動かなくなって、灰になって、お墓に行くだけです。
私の場合、死んだら霊界があるとは信じていました。
ただし、霊眼が開けてはいないので霊界をみることはできません(笑)
ですので100%霊界はあるのか?と言われると、証明は出来ないけど
あると思うぐらいの感じでした。
死への恐怖
それでは、霊界があると信じていると死への恐怖はなくなってしまうのか?
といえば、そうでもありません。死ぬのは怖いです。なぜ死ぬのが怖いのか?
まあ、死んだらどうなるかが完全には分からないから・・・
ということもありますが、人生が修行だと思っていたからです。
人生はカルマを浄化するためにあると思っていたので、苦しみや,悲しみ、
納得出来ないことがあるのも仕方がないと思っていました。
つまり、苦しみを感謝して乗り越える事でカルマが解放されるという考えです(笑)
だから、そういう人生に耐えられなくなって逃げてしまったり、自ら死を選んで
しまったりしてしまうともう一度生まれ変わって、更に苦しい人生を行かなければならない
と思っていました。ですから、やることやらないで死んだら意味がない。
つまりまだやることが残っているから死ねないと思っていたのです。完全にM型人生(笑)
また、現実的には親、兄弟、友達、仕事・・・色々なことに対する責任を放棄する形で
いなくなってしまったら、残された人が困ってしまう。そんな考えもあるわけです。
そこで、お金だけでも残していけばと生命保険に入ったりしているわけですよね。
いつ死ぬか分からない・・・というのは恐怖の連続だったわけです。
人生の意味
そういう人生ですので、眉間にシワが出来てしまうのも仕方がないことです。
でも、それを完全に覆してくれたのがバシャールであり、アシュタールです。
人生は楽しむためにある!
今日のメッセージも極めて単純、明快。
人生の目的が180度変われば人生も180度変わってしまうんですね。
ちなみにメッセージの中で出てくる死ぬときに出る物質について
脳科学者 苫米地英人氏の著書より引用させて頂きます。
二つのことを事実として説明すればわかりやすいと思いますが、まずひとつはドーパミンをはじめとするありとあらゆる脳内伝達物質が、脳が壊れるときに大量に放出されます。ですからまず、気持ちが良い。脳幹の中心の中脳のところ、VTA領域からいくつかの経路が伸びていて、脳幹の中のドーパミン細胞からドーパミンが大量に出ます。要するに、臨死体験のときは超大量の脳内伝達物質が出て、凄く気持ちが良い体感をする。同時にありとあらゆる幻視・幻聴・幻覚が起こります。
もうひとつは、時間が無限に長くなっていきます。時間感覚が変わっていくわけです。たとえば走馬灯のように自分の人生の歴史を見るとか言いますが、それはあたりまえのことで、脳内の神経細胞が壊れるにあたってとてつもない脳内伝達物質が放出されますから、最後の最後に脳が超活性化されるのではないかと思います。線香花火の最後の一瞬のようなものです。すると、たくさんの記憶を同時に見る。脳は元々超並列的な計算機なのです。我々の脳はふだん生きているときは凄くシリアルに(ひとつずつ順を追って)認識しますが、つまり、ひとつのことを認識しているときは他を認識できません。それが臨死体験のときは、同時に全部認識するわけです。走馬灯のように一生を経験するというのは、一生をシリアルに経験しているのではなく、短い間に一生の体験を全部同時に認識するわけです。内省的には一生を全部ゆっくり体験したかのように感じています。時間の感覚がどんどん変わっていくからです。生という状態から限りなく死に近づいていく、死という接点に向かって永遠に近づき続ける接線のようなものです。死んでいく人にとって、体感としての時間はとてつもなく長くなっていきますから、もしかすると死は永遠にやってきてないかもしれません。
『スピリチュアリズム』苫米地英人
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それでは今日のアシュタールメッセージをどうぞ
アシュタールのメッセージは
ミナミのライト らいと ライフ~light, right, life~
より引用させて頂いております。ありがとうございます。
「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します
大丈夫です・・心配しないでください。
死ぬときは死にます(笑)
えっ、こんなことで死ぬの?って思う事でも死ぬときは死ぬんです。
転んだだけでも死ぬときは死にます。
死なない時は、どんなことがあっても死なないのです。
熱が42度あっても、死なない時は死にません。
そして、たとえ死んだとしてもあなたは何も変わらないのです。
身体を脱いでも、あなたの意識は何も変わらずそこにいます。
あなたは、あなたであることを認識できますので何も怖がることはありません。
そして、あなたが怖がっている”死ぬとき”ですが・・何も痛くはありません。
苦しくもないのです。
身体にはちゃんと用意がしてあります。
身体を脱ぐときには、快楽を感じるホルモンが出るようになっていて苦しみよりも
反対にとても気持ちがよくなります。
身体を脱ぐときは、快感とともに脱ぐことが出来ますので安心してください。
死ぬことを特別なことだと思っているのは、あなた達人間だけです。
他の生物たちは、死ぬことにあなた達のような恐怖は持っていません。
死ぬことが悲しいことだとも思っていないのです。
自然の摂理として何の抵抗もなく受け入れることが出来るのです。
ですからあなた達も死のことを恐れることに今を費やさないでください。
死ぬときはどんなことをしても死ぬんです。
だったら、その時のことを考えるのではなく、”今この時”のことにフォーカス
してください。
”今この時”を生きてください。
生きているあなたを楽しむことに集中してください。
生きて経験するためにあなたはここにいるのですから。
死や病気を怖がるために今を使わないで、楽しく生きるために今を使って下さい。
あなたは今確実に生きているんですから。
そして、今のあなたの思考が次にあなたの現実になるのですから。
あなたが今を楽しんでいると、次も楽しい現実を体験することが出来るのです。
もう一度言いますね・・・
死ぬときは死にます。そして 死なない時はどんなことをしても死なないのです。
今を生きてください。
あなたに愛と感謝 そして平和の光を送ります」