こんばんは
aimer13です。
わたしが出向く
ヨガやプールの館内には、
洋楽邦楽問わず、
音楽が流れています。
邦楽は歌詞がそのまま、
入ってくるので、
聴いてしまうことが
あります。
世の中の歌は、
ラブソングが大半、
そこに、
メッセージのある歌や
日常を歌った
なにげないものが
あったり。
ラブソングには、
よく、
きみを守るため
きみのため
きみと出逢うため
など、
とにかく
対象者に対しての (ため )
という行為を
歌ったものが
多いです。
中には
きみを忘れるため
とかもありますが。
で、
この(ため) というのは
実に重くのしかかる
言葉です。
親や先生なども、
きみのためを思って
言ったんだけど
という。
全部書き換えれば、
俺、
勝手にきみが
好きだから、
こうしたいんだよ
俺、
なんか生きていたら
きみと出逢って
嬉しいなあ
俺、
きみといたいから、
時間作るんだ
お母さん、
あなたが心配だから、
眠れなくて、
勝手に起きていたわ
お父さん、
おまえが、
好きなことに
没頭するの見ると
嬉しくなるから、
力が漲るよ
などと、
言い換えることも
出来る、
また、
言わなくても
いいかもしれない。
わたしなどは、
好きすぎて
感情溢れ、
言うことがありますが、
だからこちらを向いて
ではない。
期待のないもの。
主体のみの
エネルギーは
とても清らか。
確かに、
とはいっても
あまりに一方通行なら
寂しくなるきもちは、
すごうくわかります。
わたしも生身の
弱いところがある、
人間ですから。
ただ、ラブソングが、
きみのためを
力説しているのは、
違うなと思うのです。
しかし、
恋も親子の愛も、
全て自己愛の
延長線上にあるもの。
でなければ、
誰でもいい
うちの子も
隣の子も
完全に
分け隔てがないなんて、
マリア様か観音様。
切ったら血の出る、
人間ではない。
人間が、
あの子タイプだとか、
なんか好きになったとか
我が子が可愛く仕方ないは、
やはり自己から来る
選別にほかならないから。
それでも
初めのとっかかりが
その特別感からでも、
無条件の愛へと
愛の質を育てていくことは
出来ると思います。
無条件の愛なんて、
言うは易し、
しかし、
ほんとうに
そうかというと。
実に身を切り刻む
体験を重ね重ねて
ボロボロになり、
のたうち回っては、
立ち上がりを
繰り返しながら、
自分の弱さを知り、
一皮ずつ、
少しずつ強く
寛容になっていく、
氣の遠くなる
作業だと思います。
また、
同時にゆっくりと少しずつ、
自由になる
ということと
同じことだと思います。
だから、
きみのためを歌う歌は真逆、
苦しみの根源だと
感じるのです。
食べるために働くも違う。
食べるために食べているし、
働くのはまさしく、
働くために働いている。
生きるために
働いてない。
生き生き生きていて、
働くのも
働くことに
純粋に打ち込んでいる。
全てそのものはそのもの。
長い文を
読んでくださって
ありがとう。
あなたを愛しています❤
aimer13