昨日は温泉に入って
何も考えない事をやってきました。
アシュタールがたまに言いますが、
ボーッとすることも大切ですよね。
生きているということは、
考える事なんじゃないか?と思うほど
すっと考えています。
頭の中は休むことがないですね(笑)
でも、ボーッとすることで
良い感じでリラックス&リセットされる事は
確かです。
昨日も露天の寝湯でボーッとしていたら
お湯と一体化してしまったみたいで、のぼせ気味になりました。
でも、そういう事が出来るようになったのも
幸せだと感じています。
ちょっと前までは一人で温泉に行って楽しむ事なんて
とても出来ませんでした。
家族を放っておいて、一人だけ楽しんで良いんだろうか?
みたいな遠慮?思い込み?自己犠牲?があって
いくら苦しくても、嫌だったとしても我慢していたんです。
そんな我慢から解放されただけでも、
全く違う自分自身になったと思っています。
最近Facebookで知り合った人と頻繁に
チャットしている話はしたかもしれません。
何かその人にシンパシーを感じちゃって、
最初は熱く語っちゃってたんですね自分。
でも、相手には全く響いていないといいますか
全く共感を得られないという感じです。
こんなことしたらいいんじゃない?
スルーされる。
この本面白かったよ。
スルー
この映画も良かったよ
スルー
この人何なんだろう?
共感しないといいますか
それが普通なんでしょうね。
でも、その姿から昔の自分を見ました。
心あらずです。
自分も以前は「絶賛しない男」と呼ばれていました。
とにかく共感しない。響かない男
「精神的引きこもり」だったんだと思います。
なぜ、チャットしているのかな~
と考えてみると、似てるからなんでしょうね。
さんのブログから引用させて頂きます。
誰でも現実から目を背けたくなる事があります。誰でも何か嫌な事や辛い事があると、そこから逃げ出したくなります。そもそもヒトは、自分にとってネガティブだと判断する事から自然に遠ざかるようデザインされています。しかし世の中の多くの人たちは、不快な気分のまま日常を過ごす事に慣れてしまっています。たとえ自分の本当の気持ちを知っていたとしても、”仕事だから、責任だから”と言って、心のケアがそっちのけです。そしていよいよ心の痛さが酷くなると、しまいには感情を閉ざして新しいエネルギーを一切招き入れない、いわゆる”精神的引きこもり”を体験するようになるというわけなのです。
精神的な引きこもりは、特に現在において然程不思議な現象では無いかも知れません。様々な視点が表面化されて混沌する現在、周囲の雑多な情報に貴方の心はあちこちに揺れ動いています。”軸”を自分の中に持っていない人は特に、闇雲な感じで何処に捕まっても足元がグラついているように感じてしまいます。つまり自分の中に”軸”が無いので、どこにもバランスポイントがありません。よって、周囲のスピードに足元がグラついてしまっている事にあるのです。
貴方の中に”軸”を持つ事とは、自分の力を手にいれる事です。自分の力を信頼し、自分が許可証そのものとなる事を意味しているのです。自分がルールで、自分が自分の世界を創り出す監督であり、責任者です。この部分をスルーしてアセンションする事はできません。何故ならば、私達は『完全版の自分』へと目覚める旅(アセンション)をしているからなのです。
そうなんです。自分が責任者じゃなかったんですね。
自分の存在価値を他人に委ねて、
ゆらゆらとゆれる浮き草のように
でも、それじゃあ心が苦しいので
「精神的引きこもり」になって、
何も感じないように生きる。
自分の人生の責任者にならないと
楽しくないんですね。
自分がルール
以前なら考えられない言葉です(笑)
超自己中心に思っちゃう。
でも、そうならないと
自分の人生を創造することは出来ないし、
他人の人生の脇役で終わっちゃうんですね。
主役になるぞ。