友達の旦那さんが自殺してしまったそうです。
60代の方です。
遠くにいる友達ななので
全くそんなことは知らず、
何気なくチャットしていたら、
突然、その話を聞きました。
誰にでも言える話じゃないので
苦しかったんでしょうね。
彼女の話では
借金苦ということでした。
60代での自殺。
本当に苦しかったと思います。
色々考えてみたけれど、
いく道がない・・・
もう死ぬしかないなと
思ってしまったのでしょうか。
確かに、自分にもそういう時がありました。
生きている意味といいますか、
価値があるのか?
毎日毎日好きでもない仕事を
繰り返ししなければならない。
そして、給料というお金をもらったとしても
あっという間に消えてなくなってしまう。
全てが、自分の思い通りにならない。
地位、名誉、お金
見えるものは何もない(笑)
楽しいことを考える余裕もない。
ただ、日々過ぎ去っていく・・・
そういう状態を続けていると
死んでしまっても同じじゃないの?
逆に死んでしまった方が楽じゃないの?
なんて、思ってしまったり
しますよね。
自分の場合、宗教的に
自殺はとても重い罪と思っていたので
死んでからも苦労するんじゃ
いやだな〜
なんて思っていましたので
自殺する勇気もなく、
我慢、我慢の日々でした。
全く価値観が違ってしまった今は
自殺が罪!
とは思いませんが、
勿体無いなとは思います。
ただ、どういう人生を選択するかは
本人次第なので、
その選択をどうこう言う権利は
私にはありませんが。
ただ、この地球に
そして、この物理世界の海に
自分の意思で、
何かの経験がしたくて
生まれてきているわけです。
何を経験するために生まれてきたのか?
それを思い出すことができなかった!
と言えばそれまでですが、
なんとなく勿体無いような
気がしてしまうのです。
バシャールとかの話によれば、
自殺してしまった場合、
もう一度
同じような経験がしたくなって
(何かしら未練?中途半端で終わった?)
似たような物理世界に生まれ変わる
みたいに、言われますよね。
自分で命を断つ、
と言うことは
途中で諦めてしまったような
感じなのかもしれません。
山登りの途中で、
なんだか足が痛くなってしまって、
どうしても続けることができない。
仕方なく下山してしまう。
でも、それって
なんとなく嫌ですよね、
頂上からの景色が見たかった!
という思いは、達成できていないわけです。
だから、もう一度登りたくなってしまう。
そんな感じなのかも。
もし、
途中で足が痛くなった時
ちょっと休んだり、
湿布を貼って見たり、
杖をついて見たり、
誰かに助けてもらったり、
色々な方法があったかもしれません。
でも、目の前の足が痛い
という事しか
見えなくなってしまうと
何も考えれれなくなってしまうんですよね。
無限に方法はあるはずなのに・・・
自殺が良い・悪いはないと思います。
自分自身の選択です。
でも、もう少し
自分の心(ハイヤーセルフ)と
会話することができたら
違う選択(ワクワクする選択)も
あったかもしれません。
友人の旦那さん。
お会いしたことはありませんが、
ご冥福をお祈りいたします。