”愛”は、相手を思うイメージ
この言葉心に刺さりますね(笑)
最近いろいろな人とのやりとりをしています。
といってもチャットやメール、SNSが多いわけですが、
同じ文章を見ても
感じ方が違いますよね。
ありがとう
感謝します
助かりました
なんて言う言葉でも
感じ方が違うんですね。
それは、正確には表現できませんが
言葉を見た時に、心に広がるエネルギーが違うとでも
言うのでしょうか?
言霊に込められるエネルギーが違うのでしょうか?
表現は分かりませんが、とにかく違うのです。
もらって嬉しい文章と
特に何も感じない文章があります。
こんなことを書いていると
かなりハードルが上がってしまい
書きづらくなりますね(笑)
やはり、人間が本来の姿に戻ってくると
言葉はいらなくなりますよね。
テレパシーみたいな感じで伝わる(笑)
そうなったら食事とかもいらなくなる。
エネルギーを食物からとらなくても
摂取することが出来るんでしょうね。
愛のエネルギーで生きる(笑)
元々は同じエネルギーで
そのエネルギーがいろいろな形に変化して
存在しているだけ。
ただ、変化しているので
多種多様な吸収方法を経験出来るし
楽しめるという感じだと思います。
肉体を持って生きているから
食べるとか、話すとか、会うとか
不自由さを楽しむ事が出来るわけですね。
でも、根本的には愛を得ながら生きている。
いろいろな形に変化した愛を得ながら生きている。
それは確実ですね。
しかも、今をもっと楽しみたいと思ったら
より振動数の高い愛を得ていく必要があるんでしょうね。
それは、目に見えないもの。
イメージの世界になっていくのかも。
なにか観念的な話ですが、
とっても感じることです。
を読んで見て感じたことです。