全て受け入れてみる
昨日あるイベントの司会を頼まれていて、最初はイヤだったけど
自分から楽しむ方向に転換したと言っていたのですが、
急に主催者から連絡が入りまして、今回特殊な事情があって
司会を別の人にやってもらいたいのですが構いませんか?
と言われてしまいました(笑)事情って何なの?とは思いましたが
「どうぞ!どうぞ(喜んで)」と答えておきました。ダチョウ倶楽部か!
と突っ込みたくなりますね。楽しみにしてたのに(爆)
逃げるとどんどん追いかけてくるけど、向かっていくと消えてしまう。
「恐れるに足りない」です。
何が起こってもブレることがなく、絶対うまく行く(安心感と幸福感)と
自分に言い聞かせ、確信していると必ずうまくいってしまう。
つまり、望む未来を作りだしてしまうんですね。
これは、こうなりたいな~というよりは、こうなると決めちゃった(笑)
なんだなと思います。
言葉では、ほんのちょっとの違いなのですが
エネルギー的には全く違うと思います。
うまくいったらいいな~ は「うまくいかないかもしれない」という恐れがベース
絶対うまくいく は「必ずうまくいくから大丈夫」という安心感がベース
最初からゴールが違うんですね。
人生は楽しんだほうが勝ち
勝ち負けはありませんが、やっぱりどう思うかは自由だということです。
楽しんでも良いし、楽しまなくてもいい。どちらに感じるのも自由であり
自分の選択なんですよね。感じたい方向を決めるのは自分。
人は関係ないから、今この瞬間からどちらにも変えられるわけです。
何があってもとりあえず笑ってみて、「そうきましたか」
と余裕のコメントをつぶやきながら、どんな感じで楽しませてくれるのかな?
ぐらいに考えていくのが楽しいんだな~と思っています。
最近なにがあっても笑っているので、パートナーには「気持ち悪い!」
「何も考えていない!」と言われますが、本当に何も考えていないので
笑顔を返しています。
それでは今日のアシュタールメッセージをどうぞ
アシュタールのメッセージは
ミナミのライト らいと ライフ~light, right, life~
より引用させて頂いております。ありがとうございます。
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「こんにちは こうしてお話が出来ることに感謝します。
草・・植物たちは 生命に関して 全くと言っていいほど、
執着がありません。
それは すべてを受け入れているからです。
そして、自分の形(植物としての命)が 無くなっても、
自分は何も変わらないことを 知っているからです。
自分(植物)は、自分がエネルギーであることを知っています。
形がなくなると ただ エネルギーになるだけだということを知っています。
そして、すべてのエネルギーがつながっていることも知っています。
ですから、今の植物としての形にこだわらないのです。
植物としての命に 執着はしていません。
すべてを 受け入れているのです。
ただ 種が落ちた場所に芽を出し、花をつけ、種をつくる・・
落ちた場所が悪いと文句をいう訳でもなく・・すべてを受け入れています。
それは、意識がないわけではありません。
植物には 自意識(自分を自分だと認識する意識)も感情もあります。
そして すべての経験を受け入れ、一瞬一瞬を楽しんでいるのです。
過去でもなく 未来でもなく ただ 今 その時を生きているのです。
ですから、死ぬ(植物としての形がなくなる)事、生き延びることに
執着は何もないのです。
ですので、「ごめんね」という必要もありません。
そういう「ごめんね」の波動は 必要ないのです。
何か言いたいのならば「ごめんね」ではなく
「ありがとう」の波動を送ってください。
少し 話はそれますが、
何故 あなたはあなたとしての命に執着を持っているのでしょうか?
どうして そんなに「死」をおそれるのでしょうか?
それは、そのように刷り込まれてしまっているからです。
「死」は すべての終わり、終了だと思わされてしまっているからです。
「死」を恐怖の存在として、教えられてしまったのです。
死んだらおしまい・・何も残らない・・そして死ぬときは 痛い、苦しい・・
という 恐怖の概念で縛られてしまったのです。
そうすることで あなたを支配、コントロールしようとする存在が
やりやすくなるからです。
それを 理解してください。
「死」は、ただあなたのその物質としての身体を脱ぐだけのことです。
あなたのキャラクター(個性)は 何も変わりません。
エネルギーとして 存在しています。
あなたが消滅することは 絶対にありません。
この話は また別の機会にしたいと思います。
あなたに愛と感謝、そして平和の光を送ります。」